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なぜ公的年金は「保険」なのか?貧困女子高生問題から考えてみた(FPベンゴシ)

こんにちは
札幌のFPを中心とした専門家ユニット なないろ福円隊 FPベンゴシです。

 

卵山玉子「うちの猫がまた変なことしてる。」

本屋で目にとまりました。

 

この猫ちゃんは、トンちゃんとシノさんといいます。

 

シノさんは、ドアの前で鳴いて「ドア開けて」アピールをしますが、トンちゃんは、ドアの前にジッと座って開くのを待ちます。

 

 

うちは、猫ちゃんではなく、犬がいます。

うちのワンコは、ドアをカシャカシャひっかいて、「開けろ!」アピールするシノさんタイプ。

 

たまに預かるワンコがいますが、こちらは、ドアの前にいつまでもじっと座って待つトンちゃんタイプです。

 

また、シノさんはトイレについてきたり、トンちゃんは洗濯物に乗っかったり。

 

我が家では、洗ったタオルを一番最初に使うのは、ワンコなので、うちでは、ワンコを「お犬様」を呼んでおります。

「お犬様、タオルからお退き下さい」と。

 

卵山玉子「うちの猫がまた変なことしてる。」は、

「犬も猫もおんなじねぇ~」って、感心しながら楽しめました。

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さて、わたくしの前回のブログの話題は年金。

そこでは、最後にこんな感じの話をしておりました。

 

① 今の公的年金は、受給者の年金原資を現役世代の保険料で調達する賦課方式である。

 だから、自分がはらった保険料を貯めてもらうわけではないので、負担と受益が直接リンクしていない。

② 今の公的年金には、国庫負担が2分の1入っている。つまり、半分は税金。

③ 年金「保険料」は、ほぼ強制的に徴収されているので、性質は税に近い。

 

以上の記述で、まあ、こんな雰囲気を出しておりました。

つまり、

結局、公的年金は、税で負担する社会保障と同じじゃん、ヽ( )`ε´( )ノ

だから、年金が「権利」だって意識を捨てて、もっと所得の再分配(所得の移転)をしようぜっ。

ってな感じです。

 

実は、公的年金の保険料額の決定においては、高所得者から低所得者への所得移転、所得再分配の要素が考慮されていて累進課税の考えと同じなので、ますます税に近いと思えるんですね。

 

今回は、また、ちがった方向から年金の話しをしておきたいと思います。

よろしければお付き合いくださいませ。

積立方式と賦課方式は、公的年金の原資の負担者の観点からみた区別ですが、調達の方法からみると、二つの方式があります。

加入者の保険料によって調達する社会保険方式

もう一つは、税による税方式で、社会扶助方式ともいいます。

 

前回の私のブログでは、保険方式って言ったって国民全員が加入する皆保険なんだから、結局、税方式と同じじゃないのって感じだったのです。

 

しかし、社会保険方式と社会扶助方式って、やっぱり、違うんですよね。

 

社会保険方式の公的年金は、保険料を納めた見返りとして支給されるという形であるので、年金給付について、受給者側に「もらって当然」という権利意識が生じます。

 

この、社会保険方式であると権利意識が生じる、という点がかなり重要なんです。

 

他方、社会扶助方式だと、税を納めた見返りとしてもらうという関係がないため、権利性がありません。

社会扶助方式による給付の典型は生活保護です。生活保護には、税を払っているから保護を受けて当然、という意識が生じることはないというのは分かって頂けると思います。

率直なところ、社会扶助方式の給付は、恩恵、お恵みって感じです。

 

するとどうなるか。

 

社会扶助方式の給付は、所得調査、資産調査をして、収入の不足額、つまり生活するのに足りる必要な額だけ支給しようってことになるのです。

こうして、生活保護は、厳しい資産調査を経て、やっと給付されます。

ときには、ニュースになるように、働けるから生活保護申請を受理しないとか、子どもがアルバイトしたから保護費を減額するとかされるわけです。

 

しかも、社会扶助方式の給付は、劣等処遇原則の圧力を常に受けます。

劣等処遇原則とは、わかりやすく言うと、こうです。

生活保護を受けている人が、仕事をもち働いて収入を得ている人より、生活水準が高いのはおかしい、だから生活保護の人の給付を働いている人より良いものにはしない、というものです。

ニュースでもたまに見かけますでしょう。最低賃金による生活の方が生活保護による生活より厳しい、生活保護と最低賃金の逆転現象って話しを。

働かない者が働いている者より、いい生活をするのはおかしいから、生活保護給付は、保護を受けていない人よりも劣等な地位になるようにする(劣等処遇する)、というのが劣等処遇原則です。

 

これに対し、権利性の高い社会保険方式の給付には、資産調査、所得調査はありませんし、当然、劣等処遇原則を働かせよう、という話も出ません。

公的年金は、資産があろうが、なかろうが、所得が高かろうが低かろうが、決まった額をもらえます。

 

もちろん、社会保険方式の給付でも、資産調査をして、生活に必要な額しか支給しない、という制度は理屈上あり得ます。しかし、それは国民の意識にとって不自然であるのでしょう。現在の日本はそのような制度選択をしていません。

 

さて、以上をみますと、権利性の存在が、公的年金が社会「保険」方式である理由として大きい面があるといえるでしょう。

 

私は、老後の生活の糧となる年金は、所得調査や資産調査など受けずにもらいたい。

このように思うのも、つい先頃の、NHKの報道に端を発する貧困女子高生バッシングを見たからです。

バッシングの背景に、「生活保護受給者は、とにかく見た感じわかりやすい貧困でなければならない」というものすごく根強いゆがんだ劣等処遇原則意識を感じるからです。

バッシングが熱を帯びるとネットを使った私的な資産調査がなされます。

 

すべて税で賄われ、権利意識を持ちにくい給付に対する世間の目は非常に厳しい。

ときに歪んでいるんじゃないの?って思える。

 

わたくしは、資産調査や所得調査を厳しく受けたり、劣等処遇原則意識がはたらくような制度はいやですね。このような負からのバリアーになるなら、社会保険方式が望ましいと思うわけです。

 

 

(蛇足)

財源調達の安定性という観点からも、社会保険方式の方が良いと言えます。

安倍政権下で、生活保護費が余り抵抗なく減額されたとおり、全面的に税によって賄われる権利意識の希薄な給付は、財政的理由によって減額されやすいといえます。

生活保護のために、財政をしっかりしようという、意識は発生しにくく、給付は財政に依存し、安定的でなくなります。

 

これに対し、権利意識の高い年金給付は、給付を減額するということに対し、国民の強い抵抗意識が生じます。そのため、財政が悪いから給付を減額するという話しが通りにくいといえます。

 

そこで、生活保護とは逆に、給付を維持するために財政をしっかりとしようという意識が発生しやすいといえます。これは、給付のためには、保険料という負担の増額もやむを得ないとして、受け入れやすい、ということでもあります。

このような意識がはたいていることは、社会保険料があまり抵抗なく増額されていることからも推測されます。

このように、社会保険方式ですと、給付に対する権利意識が強く、そのことにより財源調達のための保険料増額が受け入れやすい。

そこで、財源調達が安定するのです。